セバちゃん(タピオカトンネル)のために撮った結婚式の写真を、もうたぶん50回は見返している。
夏からかな。自分の撮った写真を見返すことが増えた。
長く眺めていたくなるような写真を撮りたい。撮ってあげたい。ソウイウコトを思うようになった。
身近にソウイウ写真を撮る人が居るから、憧れたのだと思う。
何度も眺めていると、反省点も浮かんでくる。もっと上手になってから撮ってあげたかったなって気持ちも。けど、ソレは叶わない。
なのに何度も何度も何度も何度も見返して。
すると、ツタナサさえ、愛しく感じられることがある。
ソノ時の精一杯のチカラで、籠めた結果なのだから。ソウ思うと、ソノ足りなさも、取り返しのつかなさも、変わらずに在ってほしいモノとなる。けど、バランス悪いなあ…。けど、いい顔撮れてる。けど、けどけど、けど。ニマニマ。
そんなふうに、ぐるぐるぐるぐると渦巻いたチカラを。
訪れる未来に、花や誰かを撮るときに籠めたなら。
画の向こうにも画の感じられる。
素通りできない写真が撮れるんじゃないかな。ソコに刻んであげたいよな。見てもらいたいよな。っちゅうようなことを思ったりするよ。
って。猫が言ってた。