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サクラちゃん、ユータ君、おめでとうございます。
サクラちゃんのお母さま、ユータ君のお母さま、ご親族、ご友人、ご列席の皆さま、おめでとうございます。
皆さまどうぞご着席ください。
ご紹介に与りました安藤アンディと申します。鹿児島市名山町のレトロフトチトセというビルの1階で、カベレフトという壁、小さな写真ギャラリーのようなものを、営んでおります。
2012年4月1日、エイプリルフール。皆が嘘をつく日。
「祝詞をお願い致します。」と書かれた1通の手紙が、自宅に届きました。
僕、なかなかソウイウコトを頼まれる柄では無いので、ホントウに嘘だろう?と思いましたし、周囲からも嘘でしょう?ホントウ!?などと言われました。
それから48日、フォーリィエイト。嘘みたいに日々は過ぎ、ホントウに綺麗な花嫁と、嘘のように凛々しい花婿の前に、ホントウに立ち、僭越ながら、祝辞を述べさせて頂きます。嘘のようです。
一生に一度であろうメデタイ宴です。
新郎・新婦は、皆様がコノ会場に来てくださることを、本当に本当に楽しみにしていました。
ありきたりの褒め言葉や、型通りの祝福は、心に残らず、消えてゆきますよね。
だから皆さん。
今日は、僕らそれぞれのやり方で、話し、笑い、食べ、歌い、踊り?、このかけがえの無い時間を、ふたりと僕らの胸に刻みましょう。
僕は一つだけ。短いお話を捧げます。
皆さん、目を閉じて頂けますか。
さらけだすときは、電気を消すか、目を閉じましょう。
フランス人である僕の祖父 菊太郎が17歳のとき、太平洋を横断し、アメリカの西海岸へ移り住んだときの話です。
陸軍で輸送車の運転手をしていた祖父は、ある日思い立ち、茨城県常陸多賀の海岸から、一艘のヨットで旅立ちます。
皆さん、自分に置き換え、想像してみてください。
17歳。夜、生まれ育った海岸を後にし、暗い海の上を進みます。
ざざーん、ざざーん。
ひとり海の上で見る朝焼け。どこまでも広がる海。夕焼け。
朝が来て、夜が来て、また朝が来て、夜が来て。孤独、空腹、罪悪感、疲労、さまざまを感じます。朝が来て、夜が来て、また朝が来て、夜がきて。
ざざーん。
ようやく太平洋を渡りきると、休む間もなく記者会見が開かれ、大人たちが尋ねます。
この太平洋横断達成の意味は?
価値は?
この結婚の意味は?
休みなく仕事することの意味は?
あなたの打ち込むソレにはどのような価値が?
好きな人と過ごすことに何の意味が?
懸命に子育てしてきたことの意味は?
この結婚の価値は?
この太平洋横断の意味は?
17歳の祖父は、こう答えたそうです。
今後の自分の生き方によって、今回の太平洋横断の価値が決まる。
僕は、素晴らしい答えだと感じました。
今日、こうして、サクラさんが本当に綺麗な花嫁姿を皆へ披露してくれていること。
ご親族、ご友人、新郎・新婦の大好きな方々が、ここに集まり、祝い、またそれぞれの生活へ戻ってゆくこと。
これから先、
サクラさんが支え、雄太君が、サクラ島大学を営んでゆくこと。
朝が来て、夜が来て。また朝が来て、夜が来て。
日々が過ぎてゆくこと。
その意味は。価値は。
ふたりのお母様が、ご家族が、懸命に生きて来られた結果、今日のこの素晴らしい時間があるように。
ふたりの大好きな皆様が、日々を暮らし、貴重な時間を割いてここに駆けつけてくれた結果、今日のこの素敵な時間があるように。
今日。これから先。
僕らの人生と人生が交わる僅かな時。
目の前のモノへ、惜しまず愛を注ぐこと。
それが過去と今日の、意味を、価値を、決めるのだと思います。
新郎新婦はもちろんのこと、ここに居る僕ら全員も、今日は、思う存分に、話し、笑い、食べ、歌い、踊り?今日のこのメデタイ宴を、胸に刻みましょう。
最後に。
イタリア人である祖母から教わったおまじないを唱え、この祝辞を、4月1日に届いた手紙への返事を、終わりたいと思います。まだ目を閉じてて。
ピッツア♪ マルゲリータ♪ ヴォーノ♪
サクラちゃん、ユータ君、おめでとう。
皆さん、目を開けて、新郎新婦とご家族へ拍手を。
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