写真家

写真家である。おこがましくもソウ感じることが、ここのところ何度かあった。

僕には肩書きが無く、要るときには、カベレフト壁長(Hekicho-)と記載している(鉄道員の高倉 健さんを強く意識して)。

フォトグラファーだ、カメラマンだと紹介されることも増え、言われれば、さらりとそれを受け入れ、ぺこりと頭を下げる。

けれども、専業じゃないし。とか、まあ、自他共にいろいろと思う、思われる。

ところが最近は、写真を毎日見ている。繰り返し見ている。初めてお目に掛かる方々までもが、そう言ってくださるから。そうしたいろいろとは別の次元で、ああ、僕はコノ人にとって写真家であるのかも知れないな。と感じる。ということだ。

仕える事が、誰かの日常にシみこんでゆく。

僕の繰り返す行為が誰かの中へ入る。

世界へ広がる。

もし僕らのカラダが遺伝子の乗り物であるならば、この拡散は喜ばCことであろう、遺伝子的に。僕は、いや、僕を乗り物とする遺伝子は、いま生物としての根源的な喜びを味わっているのではなかろうか。うむうむ。って、遺伝子のこととか全くよく知らないのに、まわりくどく脳ミソが喜ぶ。

ツマリ、嬉しい。
Posted by undoandy
Category : 着想
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