昨晩、『カルロス・ゴーン経営を語る』を読んでたら
急に久高島が恋しくなりました。
カルロス・ゴーンさんのお母さんは
レバノンの
マロン派の生まれらしいんデス。
お父さんは移民となり外国でお金を稼ぎ、
お母さんが家庭・地域を守るというかたちで
生活する家庭の多いレバノンでは、女性の地位が高い。
そんなクダリを読んだときにワタシの脳ミソは
久高島から、岡本太郎やカベール岬や海ブドウや夜のお祭りへと広がってみせた。
島に呼ばれたのは2002年の夏でした。
那覇で1泊1000円の宿に泊まっていたワタシは
ふいに友人から聞いた「くだかじま」のことを思い出し、
ロビーに置いてあったパソコンで久高島を調べました。
周りにはテレビでニュースを見ながらお酒を飲んでいるヒトタチ。
神の島、男子禁制の場所がある、フェリーの時間など
インターネットにちらばった情報を少しだけあつめ
翌朝、50ccのレンタルバイク(1,500円)で久高島へ向かいました。
久高島は観光地ではないから、あまり親切な案内図はナイ。
そしてホントに300人もヒトが住んでいるのかと思うほどヒトがイナイ。
開いたままの家の窓の奥にもヒトの気配がナイ。
少し不安になったけど、
ひとまずはインターネットでみたオトコノヒトが入れない森と島の先端まで行くことにした。
オトコノヒトの入れない森は、島の北のほうにある。
北に行く道は3本くらいあって、
どの道がどの道なのかワカラナイまま北へ向かった。
途中でヒゲもじゃのオトコノヒトが森から出てきて驚いた。
海のほうから子どもたちの声がした。
そのほかはなんの動物にも会わなかった。
しばらくするとクネクネした道に入った。
なんかそのまま抜け出せなくなりそうな道。
すぐ引き返してまっすぐな道を行くこともできたけど、
ワタシはクネクネしてそのまま抜け出せなくなりそうな道を選んだ。
それまでの道ではさえぎるものもナク太陽にさらされていたが、
クネクネの道は植物で覆われているからひんやりしていた。
いま自分は島の西の方の道を北へのぼっている。
そして少しだけ東へカーブしている。
そんな風に考え、不安な気持ちを消しながら歩いていると
道の左側にぽっかりと空間があって、そのなかに立て札が立っていた。
オトコノヒトが入れない場所だった。
ワタシはオトコノヒトだから、ここへ入ってはイケナイ。
入ってイケナカッタ。
オトコノヒトの入れない場所を通り過ぎて
しばらくすると島の北端に着いた。
浅くてキレイな海があった。
旅行者の夫婦がいた。
向こうのほうには小さな船が浮かんでいた。
草の上に座ってみたらアリもいた。
太陽に照らされて安心したワタシはその場でそのまま眠りこけ、
夕方の最終フェリーが出発する何分か前に起きた。
この島に泊まる以外なかった。
人の住んでいるあたりにもどり、宿をさがすことにした。
オナカも減っている。
しかし、さがそうにも宿の看板は出ていないし、
聞く相手もどこにも見あたらない。
ぐるぐるぐるぐる周っていると縁側におじいさんの座っている家があった。
おじいさんに聞いた場所を訪ね、
予約はしていなけれど泊まらせてもらえるか
聞いてみると意外な答えがかえってきた。
ここは宿だけれどもいまは宿をやっていない。
島にはもうひとつ宿があるけれどそこもやっていないだろう。
太陽は落ち始め、ワタシには泊まる場所がナイ。
病院、小学校、公民館らしき建物、
公民館らしき建物のカギが開いていたのでソコに落ち着こうかなと
中に入ったらヒトの荷物があった。
誰か住んでるっぽい感じでコワイから外に出た。
どうしよ。
南国だし凍え死ぬことはナイからまぁヨイかぁ。
あっフェリー乗り場の売店は閉まってるや。
あのヒゲもじゃのオトコノヒトはどこに住んでいるのだろうか。
ほかの旅行客はやっぱりフェリーで帰ったのかなぁ。
街灯ないんだなぁ。
携帯の電波ギリギリなんだぁ。
泊まるしかナイのだよなぁ・・・。
そんなこんなで日が暮れてワタシは暗闇のなかを歩いていた。
ふと耳を澄ますとなんか聞こえる。
近づいてゆくと三線と歌声が聞こえる。
沖縄らしいあの明るい音ではなかった。
イケナイモノに出くわしてしまったのかも知れない。
ワタシはイケナイモノを見るために木に隠れながらソコへ近づいた。
ソコは明るくて、ヒトが輪になって座り、歌い、輪の中で踊っていた。
結局ソコはイケナイモノのあつまりではなく、
島のヒトのあつまりだったから、
ビールを飲み、泡盛を飲み、お刺身を食べ、歌と踊りにつつまれ、
明日は満月の晩だから明日も飲むから明日の晩も飲めと言われ、
50音ではなく60音くらい使って喋る話を聞き、
お盆の時期は島の人間は島の北には入らないということを聞き、
え?イケナイ場所に近づいてはイケナイと言うことですか?
ワタシはどうなるのでしょうか?などと言いながら、
翌晩も飲み、泡盛が無くなってしまったから神棚の日本酒を拝借したが、
泡盛のあとの日本酒はマズかったので、
おじさんたちと外で眠りにつきました。
せっかく泊まれる場所を教えてもらったのに。
ワタシが島に行った日は、
1年12回あるお祭りのうち
唯一オトコノヒトが主役のお祭りの日だったそうです。
昔の久高島のオトコノヒトはレバノンのオトコノヒトと同じで、
生活のために遠くまで漁に出ていて、
夏のこの時期だけみんな帰ってくるそうです。
だから家を守るのはオンナノヒトの役割になり
母系の社会になったそうです。
そんな時期だっただからワタシは大切にされ、
お酒とお刺身をたくさんいただけたのでした。
そして砂浜でおこなわれた沖縄相撲大会で子どもたちが
ノートとえんぴつをもらっておおはしゃぎする姿をみて
大切なものは何かを知るのでした。
"Emilia, 'where is your place?'
久高島に行けばアナタのplaceが見つかるかも知れナイ。