金曜の午後、半べそかいた母から電話があった。父の姉が他界したそう。64歳の誕生日に倒れたソノ翌日。突然のコトとのコト。
全く実感が湧かず、けれどもチカラの抜けてゆく体で航空券の予約と仕事の整理。翌朝、妻とMusume(4歳8ヶ月)に空港へ送ってもらった。
着陸。携帯の電源を入れると東京で入院中の父からメール。上野駅で待ち合わせ、伯母の好きだった長命寺の桜もちを買いに行く。その後、駒形の どぜう屋へ。降り際、タクシーの運転手さんにも桜もちをお分けした。
38年前(というとひどく昔のことだね)、僕は、橋の向こうで生まれた。7年半暮らしたソノ土地の記憶はほとんど消えている。けれども、何十年経とうと濃いままの情景もある。それを辿り、父と三人の姉が生まれ育ち、大人になる時間を思う。
どぜう鍋とクジラの刺身、場の醸し出す懐かしさ。白髪の父。日本酒。一枚の板を囲む隣の人たちとも打ち解け、酌み交わし、鹿児島、青森、東京の話。昔を思った。
電車に乗り、車に乗り、伯母の家へ。
顔を見たら実感湧くかと思っていたけれど、ただただ眠っているよう。桜もちを食べながら、葬儀のために準備されたであろう写真を眺める。
伯父さんは、昨夜までにもう泣き尽くしたのだろう。和やかに、写真の説明をしてくれる。
雪の中で、花に囲まれて、海を背に、驚くほど多くの場所を訪れ、記念撮影するふたり。旅先の見知らぬ人たちへ撮るのをよく頼めるな。初対面の人が構えるカメラへ、よくこんなに優しい顔を向けられるな。と考えてたら、撮ったの全部長男だそう。イトコ。平日は仕事して、休日は両親をあちこち連れて行くんだって。長男とソノ下の娘ふたりと愛犬との写真もたくさんあった。伯母さん、幸せだったろうと思う。
帰りの飛行機。2時間も前に空港に着き、搭乗口近くで、余裕でカメラをいじったり、パソコンいじったり。出発15分前になっても登場の案内無いなあとチケットを確認すると、それは行きのモノだった。焦って、上着のポケットを探るともう1枚のチケット。本当の搭乗口は、ターミナルの反対端だった。モニターに"鹿児島"って表示されてるの確認したのになあ。もう一度確認すると画面には別航空会社のマーク。重い荷物を抱え、半べそかきながら走った。
相当疲れたのだろう。離陸前にぐっすり。ん。そろそろ到着か。と思ったら、それは離陸するときの振動だった。
よいお別れ。だったと思う。